地元に愛される、銭湯焚きの匠の技、ここにあり。
千葉県鎌ケ谷市、鎌ケ谷浴場。東武野田線の車窓から煙突を見つけることができるものの、細い路地の中で看板も暖簾もない佇まいでは、ここが銭湯だと気付かない人もいることだろう。
外観だけでなく内装も至ってシンプルで、東京の古い銭湯に見られるような装飾の類は見られない。だが、使い込まれた艶を放つ木製の番台、籐の手作りの脱衣籠、坪庭に面した小さなトイレ、真鍮製の釦のカランと、地元商店の広告が印字された鏡など、昭和のあるときから時間が止まってしまったかのような世界が広がっていて、魅力が尽きない。
この春、こんな鎌ケ谷浴場の一部だけが、真新しい輝きを見せた。
これまで長らく、浴室の背景は青一色のペンキで埋められていた。もっと昔は、富士山をはじめ何かの風景のペンキ絵が数年毎に描き重ねられていたはずの背景なのだが、ご主人曰く、「ペンキ絵は広告屋が手配して描いているもんだったから、完全に任せていたんだ。少し前かな、(実際は10年以上前か、)広告屋がもうやめるとなった後、全体を塗りつぶしたきりだったんだ。」
だから、新参者の私が知っている鎌ケ谷浴場の背景は、ずっと青一色だった。
それがこの春、曇ったガラス戸ごしに浴室を見たとき、目を疑った、心が躍った!
ではまず、この体験を写真でご覧いただこう。
大きな富士山、ピカピカの富士山。やはり銭湯はこうであってほしいと思わせる、爽快な景色だった。
しかし普通は銭湯のペンキ絵は、決まった作法にのっとって描かれていて、その描き手であるペンキ絵師は現在3名しかいないというような時代になっている。が、今回のペンキ絵はその範疇におさまらない、とっても個性的な富士山だ。なにしろ、デカい!ご主人に聞くと、「常連さんの呑み屋のオヤジ兼・塗装屋さんがね(こちらが本業)、どうしても描きたいっていうもんだから、お任せして描いてもらったんだよ。こんなバカでかい富士山なんかあるもんかと笑ったけど、壁板の剥がれも直して塗ってもらって大助かりだった。今度は天井全体をお願いしようかと思ってるよ。」と、笑顔、笑顔。おかみさんも、女湯側に描かれた桜の花びらが可愛くて、とってもお気に入りの様子。
私もどこか寂しいと思っていた、青一色の壁面。同じように感じていた常連さんが、自らペンキ絵を描いてしまうという、心あたたまるストーリー。こんな事からも、鎌ケ谷浴場が真に地元に愛される銭湯であることが感じられる。
鎌ケ谷浴場のお湯は、熱い。
温度計はビシッと46度を示している。ただし、数秒で飛び上がるような熱さではない。じんわり、じわじわと包み込まれるような、最高に気持ちの良い熱さがやみつきになり、熱くても出たくなくなる、極上のお湯。
なにしろ、浴槽もシンプルだ。深い方と浅い方の2つの浴槽があるだけ、気泡もジェットも薬湯も何もない。
でも、このお湯の虜になると何も要らないという事がよくわかる。
全身を包みこむこの柔らかい熱さに勝るものはない。この極上のお湯の秘密を、釜場で知った。
閉店間際だから、そして私が薪焚き銭湯を訪ね歩いているから特別にと、ご主人が釜場を案内してくれた。
切り揃えられた薪の奥に、使い込まれた釜があった。
「薪で沸かしているから、こんなに柔らかいお湯になるんですか?」との問いに、「いや、それもあるかもしれないけど、おれは、水だと思うね。ここの井戸水は、ちょっと違うよ。」と、誇らしげ。
「普通は決まった深さの井戸を掘って水が出たらそれでおしまい。でもここは、どんどん掘り進んだ。で、出た中で一番いい水が出る層から水を取ってるんだよ。おれだって不思議に思うぐらい、いい水だ。」
なるほど。水そのものが極上ということだ。
しかしご主人、もう閉店だというのに薪を次々に投入して火力をアップさせているのは、なぜ?
「うちは毎日、お湯を落として焚き直すからね。これから明日のぶんを焚くんだよ。」
なんとなんと。閉店後から薪を焚きつつ浴室の清掃しつつ、明け方まで作業をされているそうだ!
こんな事を言うのはタブーかもしれないが、普通の浴場ではお湯をある程度循環させて再利用するのが常識。
でも鎌ケ谷浴場では、毎日、新しいお湯が焚かれている。だから塩素などの匂いがまったくない、フレッシュなお湯に毎日ありつくことができる、極上の銭湯なのだ。しかし、ご主人に言わせれば、それが常識。
とはいえ毎日お湯を一から焚き直すには、石油ボイラーではコスト的に実現不可能だろう。
薪焚きであることと、ご主人の腕っぷしによって支えられている、ありがたいお湯であることがわかった。
シンプルな銭湯かもしれないが、一番大切な「お湯」に一番のこだわりが詰まっている銭湯。
井戸水の水質も、焚くタイミングとお湯の温度も、すべてにこだわった職人技、銭湯の匠の技がここにあった。
これほど愛すべきお湯は、本当は他の人に教えたくないが、今回は特別に記事にしてみた。極上のお湯に身体が温まり、地元の愛があふれる真新しいペンキ絵に心が暖まる。興味が沸いたら、ぜひ一度足を運んで体験してみていただきたい。
(文・写真:大久保)
※銭湯内観写真は許可を得て撮影・掲載しています。転載ご希望の場合は必ずご一報下さい。